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未破裂脳動脈瘤をご存知ですか?

このブログは、私がある日突然「未破裂脳動脈瘤」の存在を医師から告げられ、それに向き合った約半年間の記録です。

無症状の中、何気なく受けた検査でその存在を知ることが多いとされる未破裂脳動脈瘤。

存在を知ってしまったその日から破裂の恐怖が日常を侵食し、翻弄されてしまいます。

そんな中、励みになったのは同じ経験を持つ方々による記録でした。

私自身が救われたように、このブログがいままさに悩まれている方のお役に立てると幸いです。

目次

未破裂脳動脈瘤とは

未破裂脳動脈瘤とは、脳動脈に膨らんだ部分がある状態を言います。
ドクドクと脈を打って流れる血液により血管の脆い箇所に圧がかかって血管が膨らみ、これが瘤(コブ)のような見た目であるため「未破裂脳動脈瘤(みはれつのうどうみゃくりゅう)」と呼ばれます。
これが破裂すると、「くも膜下出血」に至ります。

未破裂脳動脈瘤の発生要因にはまだ明らかでないことも多いのですが、男性よりも女性に多いことや、遺伝や高血圧が影響することなど、傾向として分かっていることもあります。

ちなみに私は34歳女性ですが、高血圧などの健康問題はなく、飲酒や喫煙といった生活習慣の問題もありませんでした。

家族歴(近親者の健康状態や既往歴)に「未破裂脳動脈瘤」や「くも膜下出血」がある場合には、遺伝の可能性があるとされます。しかし私にはこれは当てはまらず、近親には脳出血・脳梗塞・脳腫瘍はありましたが、直接的なリスクといえる家族歴ではありませんでした。つまり、家族歴も健康問題も生活習慣も心当たりがなく、リスクとして知られるもののうち私が該当するのは「女性であること」くらいでした。

このように、未破裂脳動脈瘤は発生要因の心当たりの有無にかかわらず発生し得るのです。

しかも多くの場合で、未破裂脳動脈瘤は無自覚(無症状)のうちに形成されるため、生活に何ら影響を及ぼしません。知らないうちに形成され、場合によっては増大することもある未破裂脳動脈瘤ですが、破裂(くも膜下出血)に至ると、死亡・寝たきり・社会復帰の確率がそれぞれ3分の1といわれるほど予後が悪いことで知られています。

そのため、未破裂脳動脈瘤を抱えることは「いつ爆発するか分からない爆弾を抱えた状態」と例えられるように、当事者にとっては恐ろしい存在なのです。

破裂リスクと治療リスクを天秤にかけた判断

前述したように未破裂脳動脈瘤は爆弾に例えられることがありますが、未破裂脳動脈瘤のすべてが破裂するとは限らず、破裂せずまま過ごす人も少なくありません。

そこで気になるのが自分の破裂率ですが、残念ながらこれを正確に計算することは難しく、瘤の発生場所、大きさ、形、患者の年齢(余命)や家族歴、その他の危険因子から総合的にみた予測値に頼ることになります。

大前提として未破裂脳動脈瘤が自然治癒することはなく、定期検査で様子を見るか、治療(手術)をするかのどちらかになります。

治療(手術)を選択した場合、手術の方法は「開頭手術」と「血管内カテーテル手術」に大別されます。そのどちらにも手術のリスク※が伴いますが、自覚症状がない未破裂脳動脈瘤に対して数パーセントでも治療リスクが伴うことは、患者にとって判断を躊躇させる大きな要素になります。

※治療(手術)リスクに関する説明は医療機関により若干の差はあるものの、死亡や重篤な合併症が発生する確率は約5%と説明されることが多いようです。

積極的に治療すべきか否かを検討する際、日本脳卒中学会による「脳卒中治療ガイドライン」が判断材料として有用です。しかし、基準に照らしてよほど緊急性を伴うものでない限り、治療(手術)の希望有無は患者自身に委ねられます。よって、破裂率と治療リスクを天秤にかけて患者は悩むことになりますが、いずれの数字もあくまでも統計(確率論)であることから、未破裂脳動脈瘤と向き合うことは「答えのない問い」に翻弄される苦しみがあります。

この特有の苦しみについて、ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(第4話)で脳外科医である主人公が「未破裂脳動脈瘤は生き方が問われる病気」といった旨の表現をしていたのがとても印象に残っています。劇中では、「どんなに計算をしても結果がいいほうになるとも限らないし一発勝負のギャンブルみたいなもん」「その人の人生観にもよるし結局は本人に決めてもらうしかない」というセリフが医師間で繰り広げられ、私も当事者として共感できました。

発見に至った経緯

大きな未破裂脳動脈瘤の場合は視野に影響を及ぼすなど自覚症状が伴うケースもありますが、大半は自覚症状がないのが特徴です。そのため、別の理由で受けたMRI検査で偶然に未破裂脳動脈瘤が発見されることが多く、当事者にとってはまさに「青天の霹靂」といえる出来事なのです。

私が未破裂脳動脈瘤発見に至った経緯は、「長引く手足のしびれ」と「突然の難聴」がいずれも左に生じ、念のため脳神経外科から調べてもらおうと思ったのがきっかけです。
「念のため」と表現したように、脳神経外科の受診はあくまでも安心材料のためと高をくくっていて、「なにもありませんよ」とお墨付きをもらってから整形外科や耳鼻科に行けば良いと考えていました。

さっそく近医でMRI検査を受け、しびれや難聴は脳に起因しないことに安堵したのも束の間。「これは未破裂脳動脈瘤ですね」と画像の該当箇所を見せられた瞬間が、私と未破裂脳動脈瘤の出会いでした。
あまりに急展開で感情は混乱していたのですが、挙児希望の場合は注意が必要と前置きがあったため、向き合わねばと覚悟したのを覚えています。

一般的に未破裂脳動脈瘤がある場合に経膣分娩は推奨できないと説明を受け、偶然にもMRI検査を受ける少し前に流産手術を受けたばかりの私には何か導きがあったように思えました。
もしも妊娠継続していたら多少症状があってもMRI検査は受けず、そして高い確率で経膣分娩になっただろうと考えると、未破裂脳動脈瘤の存在を自覚せず妊娠出産することの怖さを実感しました。

実はこの未破裂脳動脈瘤、有病率は20人に1人といわれ、決して珍しいものではないのです。
好発年齢は40~60歳とされながら私のように好発年齢よりも若い年齢で見つかることもあり、医師からは10代の患者の例もあると聞きました。

挙児希望がある場合、産婦人科で妊孕性をチェックすることはあっても、脳神経外科でMRI検査を受けることはほとんどないと思います。
でも、妊娠・出産に伴う脳卒中が一定数起こっていることを鑑みると、挙児希望のある女性は1度MRI検査を受けてみても良いのではないかと今回の経験で実感しました。

手術を決意するまで

未破裂脳動脈瘤の発見から3日後に紹介状を持って大学病院を受診しました。

近医で撮影したMRI画像とともに大学病院への紹介をうけたものの、オープン型MRI(一般的な筒形ではなく、閉所恐怖症に配慮されたハンバーガーのような形のもの)による撮影のため画質が多少荒く、高性能MRIでの再撮影を経て、後日正式に未破裂脳動脈瘤の診断に至りました。

自分の中に未破裂脳動脈瘤があることが確定して、多くの未破裂脳動脈瘤患者がそうであるように、私も「経過観察か治療(手術)か」の選択に葛藤することになります。

中には「セカンドオピニオン」として何名かの医師に意見を求めるケースもあるようですが、幸いにも私が大学病院で出会った主治医は未破裂脳動脈瘤を含む脳血管疾患全般に実績のある有名な医師でした。そのため不安要素はなく、むしろ「判断材料も環境も揃っている。あとは自分の気持ち次第。」と感じていました。

その「自分の気持ち」が固まる要素のひとつとなったのが、主治医から提案された術式が「血管内カテーテル手術」だったことでした。

カテーテル手術の中にもいくつか治療法がありますが、私の瘤の形状から、瘤にコイルを埋め込んで塞ぐ「コイル塞栓術」に、コイルの逸脱を回避するためのストロー状のネット(ステント)を併用した「ステント併用コイル塞栓術」が適用になると説明されました。

ステントを併用する場合は抗血小板薬(血をサラサラにする薬)を一定期間服用しなければならない点がデメリットではありましたが、それでも私にとっては開頭手術よりは心理的ハードルが低く、治療(手術)の決意が固まったのでした。

結果として、未破裂脳動脈瘤の存在が指摘されてから約1ヶ月で手術希望の意向を伝え、その場で3か月後の手術を予約することになりました。

手術の日が決まると同時に術前検査や入院の日程が決まり、複数枚の同意書が手渡され、術前から服用する抗血小板薬が処方され…と、あれよあれよと話が進み一気に現実味を帯びて、手術までの3か月が長くも短くも思えてソワソワしたのを覚えています。

手術までの過ごし方

手術予定日は3か月先。この章では、手術までの3か月を私がどう過ごしたが具体的にご紹介します。

受精卵凍結と歯科検診

「ステント併用コイル塞栓術」に伴って抗血小板薬の服用が確定し、少なくとも向こう1年は妊娠出産を避けなければならないことになりました。

いわゆる「高齢出産」は一般的には35歳以上での出産を指し、妊娠率や子供の障害発生率、母体の体力低下などを理由に女性は妊娠出産に際して「35歳」という壁を気にする傾向にあります。未破裂脳動脈瘤発見時点で34歳の私にとっても、この35歳問題は悩ましいものでした。

とはいえ、手術日程が確定している以上、悩んでいる時間もありません。
未破裂脳動脈瘤の治療(手術)後も出産は大学出産を選択することが推奨されていたため、同じ大学病院内の産婦人科へ相談に行くことにしました。相談の結果、産婦人科医の意見としても受精卵凍結が推奨されたため、3か月の間に受精卵凍結を実現させることを目標に進んでいくことになりました。

年齢に急かされる気持ちで進めた受精卵凍結でしたが、未破裂脳動脈瘤の手術を待つ3か月を有意義に過ごせている気持ちになれたことは気持ちの面で良い方向に働いたと思います。また、受精卵凍結には頻回な受診に加え自己注射もあるなど、なにかと慌ただしいスケジュールになるので、思考が未破裂脳動脈瘤一色にならずに済んだ点でも救いでした。

あとは、産婦人科通いのほかに歯科も受診しました。

全身麻酔では自発呼吸が抑制されるため気管にチューブが挿入されますが、その際に歯の動揺(ぐらつき)があると危険です。また、抗血小板薬を服用していると血が止まりづらくなるため歯科治療が難しくなります。
そういった観点で医師から手術前の歯科受診が推奨されていたため、あらかじめ歯科を受診しました。
入院手続き時や手術前も歯の治療状況について繰り返し確認されたので、わりと重要な事前準備なのかなと感じました。

加入している民間医療保険の保障内容の確認

社労士として健康保険の制度には精通していますが、民間の医療保険については契約から時間が経っていたこともあり、改めて保障内容を確認する必要がありました。

保障内容を確認して明らかになったのは、未破裂脳動脈瘤が発見された時点で新たに保険へ加入することや既存の契約の見直しが難しくなるということでした。
幸い私は民間の医療保険に加入してましたが、最近は未破裂脳動脈瘤を含む「脳血管疾患」を保障対象とするのがトレンドであるのに対し、私の加入していた保険の保障範囲が「脳卒中」に限定される古いものだったため、給付内容に大きな差がありました。

未破裂脳動脈瘤に関連する家族歴がある場合などは、脳ドックなどを受ける前に保険の見直しをしておくのも備えのひとつかもしれません。

経験者の記録から情報収集

手術を決意してからは一層、ブログやYouTubeから経験者の体験記を探すようになりました。
ありがたいことに、「未破裂脳動脈瘤」で検索すれば様々な医療機関による医学的な解説にアクセスできる世の中です。

しかし私が当時欲していたのは経験者による記録でした。大きなトラブルなく退院する様子をみて励まされたり、予期せぬ合併症に見舞われた例に触れて恐怖を覚えたり、当事者の記録に目を通しては一喜一憂する日々でした。

未破裂脳動脈瘤の当事者による記録を漁るうち、芸能人にも治療経験がある人、経過観察中の人がいることがわかりました。中でも星野源さんはくも膜下出血発症からの再発(未破裂脳動脈瘤)という困難を乗り越えておられます。

星野源さんの著書『よみがえる変態』では、開頭手術もカテーテル手術も経験された闘病の様子が赤裸々に書かれています。手術を控えた身としては目を背けたいような描写もあったものの、細かな記録はとても参考になりました。
なにより、役者や歌手として絶賛活躍中の星野源さんの姿は励みになりましたし、手術当日も星野源さんの曲を聴くほどに心の拠りどころになっていました。

また、当事者による記録のほかにYouTubeで実際の血管内カテーテル手術の様子を見ました。
手術の最中は眠っているといえど、手術イメージが少しでもつかめたのは個人的には安心につながりました。

余談:フィンクの危機モデル

病名告知後の心理プロセスとして知られる「フィンクの危機モデル」をご存知ですか?

ここまでの内容から私の体験談は前向きでポジティブに映ったかもしれませんが、私にもフィンクの危機モデルを地でいく感情の変遷がありました。

フィンクの危機モデルでは、以下のような疾病受容への心理的変化があるとされています。

<第1段階:病名告知による衝撃、ショック>
現実が受け止められず、パニックや不安、無気力状態に陥る。
<第2段階:防衛的退行(否認・逃避)>
現実を否定することで、心の安定を図ろうとする。
<第3段階:承認>
現実に直面することで、新たな衝撃を受ける。次第に現実と自己に向き合い始める。
<第4段階:適応>
徐々に今できることに目を向けることができるようになり、現実に対処し始めたり、将来への計画性を持てるようになったりする。

私も未破裂脳動脈瘤の存在を知って間もない時期は不眠になるなど、不安感に支配されていたように思います。治療(手術)への恐怖心が先行するあまり外来でネガティブな質問を繰り返し、医師から「手術をしないための理由を探しているね」と言われハッとしたこともありました。

第1・第2段階にあたる時期の心の葛藤は、今振り返ってみても本当に苦しかったです。

破裂の恐怖と治療リスクの狭間で悩み、確率論だけを頼りに答えを出すしかない。たとえどんな名医に出会えたとしても、起こった結果を引き受けるのは自分しかいない。気持ちが右往左往して、インターネットの大海へ問いかけようが医師に相談しようが、結局のところ自分が決めるしかない。そういった残酷さが未破裂脳動脈瘤にはあります。

未破裂脳動脈瘤の告知を受けたことで気持ちが不安定になるケースは珍しくなく、未破裂脳動脈瘤患者のメンタルケアを目的とした専門外来もあると聞きます。
渦中にいるときは受け入れがたい助言かもしれませんが、葛藤のフェーズを経て、かならず第3・第4段階に向かって心が健全に変化していくことを経験者としてお伝えしたいです。

直前期の過ごし方

手術を目前に控え、手術に向けて薬を飲み始めたり術前検査があったりとさらに準備は進みました。

抗血小板薬の服用開始と術前検査

ステントを併用した術式のため、手術2週間前から抗血小板薬を服用する必要がありました。
服用指示はケースバイケースかと思いますが、私の場合は術後3か月までは抗血小板薬2剤処方、術後3か月経過後は抗血小板薬を1剤に減らす計画が立てられました。

抗血小板薬は「血をサラサラにする薬(=血が止まりづらくなる)」として知られますが、その効能から、怪我に気を付けるよう医師から説明を受けました。

怪我にだけ気を付けていれば問題ないと解釈していたものの、怪我以外に月経時の経血量にも影響を及ぼすことに驚きました。女性で抗血小板薬の服用がある方は、月経周期も考慮して手術の日程を組まれたほうが不安が減らせるかもしれませんね。

また、手術の5日前に術前検査があり、採血・レントゲン・MRI・心電図を受けたのですが、この採血結果から抗血小板薬が効きすぎていることが判明したため、処方量の見直しが行われました。

入院グッズの準備

入院経験に乏かったため、何が必要で、どんなものがあれば快適に入院期間を過ごせるのか、経験者の記録を参考にしたり入院経験のある友人からアドバイスをもらったりしました。

アドバイスをもとに準備したもののうち、持ち込んでよかった便利なアイテムは「電源タップ(延長コード)」・「(ベッド柵にかける)S字フックとミニバッグ」・「書籍」・「クリームシャンプー」でした。
中でも強調したいのはクリームシャンプーで、入院中は退院前日の1度しかシャワーの機会がありませんでしたが、いくらカテーテル手術といえ頭皮をガシガシ洗うことには抵抗があるものです。その点、クリームシャンプーは泡立てる必要がなく優しく頭皮に揉みこんで使用するので安心感がありました。

また、入院中にMRI検査があることを考慮した入院準備をすると良いと思います。

MRI検査において金属の持込は絶対禁止なので、ワイヤーやホックがあるブラは適していません。
カテーテル手術後はカテーテル挿入部がしばらく圧迫固定されていることもあり、着替えにも不便がありますが、私は金属を含まないナイトブラを着用していたため、着用したまま不便なく検査に臨めたのは良かったです。(冬に入院される方は、「ヒートテック」のような機能性肌着にもMRI検査に適さないものがあるので注意が必要です!)

入院中の記録

さて、いよいよ入院。
当初3泊4日で予定されていた入院期間は、結果的に4泊5日となりました。
この章では入院中の出来事について記録しています。

入院1日目:手術前夜

翌日13時の手術開始に備えて前日夕方から入院となりました。
希望通り個室で入院初日を過ごすことができたので、緊張で眠れぬ夜に消灯時間にかかわらず本や映像をみて気を紛らわせられたのは良かったです。

入院期間中すべて個室で過ごせるイメージを描いていたのですが、術後は4人部屋のHCU(ハイケアユニットの略で高度治療室を意味する)での管理対象となったため、入院初日と個室移動した最終日以外はHCUで過ごしました。

入院2日目:手術当日(HCU)

全身麻酔をするため食事は前日の夕食まで、飲水は当日朝9時までという指示がありました。
また、前日から血栓予防の着圧ソックスの着用指示、当日は採血や点滴ルートの確保、麻酔科医との面談がありました。

手術に向けて気持ちを整えていた中で唐突に手術開始時間を前倒す旨を告げられ、「前の手術が終わり次第」というざっくりとした見通しだったので、いつ声がかかるのかと緊張が増したのを覚えています。

予定よりも1時間早く声がかかり、車いすで手術室に入室。

そこには思っていた以上の人数がいて戸惑ったのですが、そんな暇もなく手術台に上がるよう促され、麻酔が導入されました。意識がぼんやりする中で呼吸がしづらい胸の苦しみを感じ、「心臓が変です」と発したのが術前最後の記憶です。

次に目を覚ましたのは手術室からHCUに運ばれるエレベーターの中で、家族によると担架で寝たままピースをして登場したそうですが私自身は記憶にありません。

HCUのベッドに移してもらって意識が明瞭になってくると、とにかく寒い。体験したことのない寒さで震えが止まりませんでした。家族に何か伝えようと口を開くと顎がガクガクしてうまく話せないほどで、電気毛布を掛けてもらってもなお寒さに震えていました。また、それと同時に猛烈な吐気が押し寄せてきたので、吐気止めを注射してもらいました。

これらの症状は麻酔薬による影響かと思いましたが、医師によると造影剤の影響もあるかもしれないとのことでした。

手術当日の夜には夕食、それも通常食を普通に食べられることには驚きました。ただ、右手首からカテーテル挿入した影響で右手は圧迫固定されており、利き手が使えなかったので少し苦労しました。

夜には寒気も吐気も落ち着いていましたが、熱は37.7℃あったので多少麻酔薬や造影剤の影響は残っていたのかもしれません。

私が入院した先に偏りがあっただけかもしれませんが、入院患者の大半が高齢者でした。そのため昼夜問わず喀痰吸引による苦しそうな声が聞こえてきたり、他室からも廊下を伝ってうめき声が毎晩聞こえてきたりとなかなかハードな環境な中、術後初めての夜を過ごしました。

入院3日目:造影CTと頭痛のはじまり

手術当日の夜は眠りを妨げる痛みもなく、時々HCUの洗礼(上述)に目を覚ますことはありながらも、よく眠れたほうだと思います。

この日は、造影CTがありました。手術中にも造影CTはしたと聞いていましたが、意識下では未経験だったためとても緊張していました。
事前に造影CTの体験談を調べていると「お漏らししてしまったかと思って焦った」という記述を見かけ、物心ついてからお漏らしの経験ないしなあ…とイメージを掴めずにいましたが、いざ体験してみてこの表現がいかに的確か実感しました。

技師さんと看護師さんに見守られながらCTに頭部から入ったあと、声かけののち造影剤が注入されると体が順に温かくなっていく感覚があり、恐らく造影剤が下腹部あたりに回ったあたりで例の“お漏らし” の感覚がありました。

体が温かくなる感覚の他には喉がキュッと狭まる感覚があり、それを技師さんにお伝えしようとすると咳が出たため、軽めのアレルギーが出ているかもしれない言われました。

上述したような温感は造影剤を注入後数十秒の間だけで、心配された喉の症状もその後無事に治まりました。

しかし、造影CTを終えたあたりから頭痛が現れるようになりました。
タイミング的も造影剤の影響かと考えましたが、一般的に造影剤が抜けると言われている期間(24時間)を過ぎても治まらなかったので不安を感じるようになりました。

医師に相談すると「コイルやステントを入れるとよくあること」との説明だったので、痛み止めで対処しつつ様子を見ることにしましたが、結局この頭痛は退院後1ヶ月続き、頭痛薬が手放せませんでした。

入院4日目:MRIで脳梗塞が見つかる

頭痛が始まってから夜も目が覚めてしまい、痛み止めと氷枕がないと辛い状況が続きました。
所定の服用間隔より短いスパンで痛み止めを飲みたくなるほど辛く、座った状態が長く続くと辛さが増すので極力横になるようになりました。

そんな中、やっと許可が下りた入浴。シャワーのみでしたが、それでも入院前夜ぶりだったのでうれしかったです。
この時から薄々予感がしていたのですが、のちに入浴で頭痛が増すことを確信することになります。余談ですが、私はもともと長風呂が習慣で、社労士の試験勉強のほとんどをお風呂でしたといっても過言ではないほどです。お風呂が頭痛の引き金になることを確信してからは長風呂も避けるようになり、これは地味に辛いことでした。

術後初めてのMRI検査で脳梗塞の跡が発見されました。
といってもそれらしい症状は出ておらず、いわゆる中年世代で指摘されることの多い「かくれ脳梗塞」と同じ無症候性脳梗塞で、特段心配はないと説明を受けました。

それでも、やはりこの事実には動揺しました。
事前に聞かされていた手術リスクの数%に、私のような医療的には軽微なものは含まれていません。
重篤な合併症や命を落とすような事例と比べれば取るに足らない症状だとは分かっているものの、今回見つかった無症候性脳梗塞や長引く頭痛など小さなトラブルがあり、あらためてデリケートな治療(手術)をしたのだと実感しました。

入院5日目:退院

当日、最後の入院食(朝食)を食べ、医師の回診を経て退院となりました。
回診では前日告げられた脳梗塞を中心に疑問や不安をすべて医師に質問して、安心して退院できるよう努めました。
あわせて1か月半後の外来予約を取り、退院後も継続服用する抗血小板薬を受け取って、5日間お世話になった病院を後にしました。

帰り際、手術当日に付き添ってくださった看護師さんに会い、ハグしてもらったのが嬉しかったのを覚えています。
手術日以降お会いすることは無かったのですが、「無事に手術が終わったか気になって、HCU覗きにいったらすやすや眠っていて安心したよ」と話して下さり、温かい気持ちになりました。

社労士という職業柄か、私は「仕事」というものに人一倍興味が強いです。
仕事を選んだ背景、仕事への向き合い方など、その人が持つ仕事の哲学にとても関心があります。

ハグしてくださった看護師さんをはじめ、入院中にはたくさんの医療従事者の方々の「仕事」に触れ、感動し学ぶことが多くありました。
改めて社会はひとりひとりの仕事や役割によって成り立っていて、皆それぞれの持ち場で貢献しているのだと感じました。

医療従事者の「仕事」によって救われたこの命。私も社会に貢献し影響を与えられる仕事をしていこう!と襟を正し退院したのでした。

たった4泊5日の入院でしたが、ちょうどこの間に本格的な冷え込みが始まったようで、久しぶりに外の空気に触れたときはものすごく長い間入院していたような気持ちになりました。
しかし感慨深い気持ちに浸ったのも束の間、自宅に帰っても入院中と同じく痛み止めを服用して氷枕で横にならざるを得ない状況が続いたため、結局退院後1週間は自宅療養として仕事は休みを取ることになりました。

カテーテル手術は低侵襲(体への負担が少ないこと)で知られていますが、これから手術を検討される方は、このような小さなトラブルがあることも想定しておくと良いかもしれません。

手術して良かったと思えるか?

私自身がそうだったように、手術を検討している方は「手術して良かったと思えるか否か」が気になるのではないでしょうか。

あくまで私の個人的な感想になりますが、手術直後は破裂の恐怖から解放された気持ちで満たされていたものの、その後頭痛が出てきたり脳梗塞がみつかったりしてからは、多少落ち込んだのが正直な気持ちです。

でも私の性格上、未破裂脳動脈瘤の存在を知ってしまったからには手術をしない道はなかったと思いますし、妊娠出産との兼ね合いもあったので治療(手術)はベストな選択だったと思います。
何より、経験豊富な信頼できる主治医と出会い、手術をお任せできたことはとても幸運だったと思っています。

未破裂脳動脈瘤の発見に対し「よく見つけたね」と反応されることが多かったのですが、これは私自身が一番実感していることでもありました。
事実、「未破裂の段階で偶然みつかった幸運を無駄にしたくない」という感情が治療(手術)の大きな決め手となりました。

この病気との向き合い方は当事者の価値観が大きく表れると改めて感じます。
治療(手術)と経過観察、そのどちらにもリスクは伴いますが、もしもこの記事を読んでくださっている方が今まさに悩まれているのであれば、不安材料はとことん解消させたうえで自分が納得できる選択をされることを願っています。

おわりに

これまで脳卒中後遺症による障害年金申請支援に携わってきただけでなく、実父が脳出血になるなど、公私ともに脳卒中当事者に関わる機会がありました。
そういった機会の中で脳卒中によって生活が一変してしまう様を目の当たりし、病気の恐ろしさを理解してきたつもりでした。

でも実際に自分が脳卒中と隣り合わせの状況に置かれてみて初めて、「病気を理解する」ことと「状況を受け容れる」ことの違いに愕然としました。

あくまでも私が経験したのは大事に至る前の治療体験であり、大きな後遺症もなく経過しています。その立場でこういった感想や経験談を綴ること自体が誰かを傷つけてしまうかもしれません。
でも自分が患者になって初めて知った感情があったことは事実で、間違いなく自分の人生と対峙する契機となりました。

社労士という職業は、人生の局面に触れる機会が多いと感じています。
例えば、結婚・出産・育児・闘病・介護・死亡など、ライフイベントのどこを切り取っても手続きが発生し、生活に変化があると仕事との両立にも課題が生まれます。
そういった機会に密接にかかわる立場として、少しでも自分の経験を活かし、より本質的な意味で寄り添える社労士でありたいと思います。

長くまとまりのない体験談となりましたが、お読みくださりありがとうございました。少しでも参考になると嬉しいです。

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