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ニューロダイバーシティは雇用の多様化の前進に繋がるのか

ニューロダイバーシティという言葉をご存知ですか?

ニューロ(脳神経)の多様性(ダイバーシティ)ということになりますが、雇用の多様化を目指すうえでニューロダイバーシティはとても重要な意識・取組といえます。

このブログではニューロダイバーシティを理解するうえで参考になる2冊の書籍についても触れつつ、ニューロダイバーシティについてご紹介しています。

ぜひ、最後までお読みいただけると嬉しいです。

目次

ニューロダイバーシティってどんな意味?

ニューロダイバーシティとはどういう意味を持つ言葉なのか。言葉からそのまま解釈すると、ニューロ(=脳神経)の多様性(=ダイバーシティ)ということになり、固有の脳神経の違いによる個性を認め合える社会といった概念を持つ言葉といえます。
脳神経の違いによる個性はひとりひとりにみられるものですが、ダイバーシティということばが使われるシーンにおいては、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)などによる特性を指して使われています。
この前提を踏まえたうえで本質を捉えるために『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』(著者:伊藤穰一・松本理寿輝)の序章での説明を引用して確認してみましょう。

(P.14より)
ニューロダイバーシティという概念は、1990年代後半に提唱された、まだ歴史の浅い考え方です。非定型の人たちが自らを定型と同じように振る舞うことを強いられたり、定型に近づける努力を義務付けたりされることなく、その人らしく生きられる社会となることを目指した、一種の社会運動を象徴する言葉とも言えます。

また本書では、類似して捉えられがちな「合理的配慮」との違いについて次のように説明しています。
(P.10より)
~合理的配慮とニューロダイバーシティは、重なり合う方向性を持ちつつも、別の概念といえます。
個性や特性がもたらす不利益を小さくするという部分はほぼ同じでも、常に配慮「する側」が配慮「される側」を助けるという一方通行性は、ニューロダイバーシティにはありません。
それはこの概念が、これまで定型とみなされてきた人々の見えざる困難にも光を当て、非定型の人たちとともに困難の克服を目指すための思考や行動を促すものであるからです。

ニューロダイバーシティによって近づく雇用の多様化?!

雇用の多様化とはどういったことでしょうか。世界の動き同様に日本においても雇用の多様化を掲げていますが、 内閣府のウェブサイトにもある通り、日本においては「少子高齢化による人口減少」が著しく、働き手の不足はより深刻になってくるとされています。
健康寿命の延びも相まって、定年年齢の引き上げやそもそも定年制の廃止なども取り入れられるようになり、そうなってくると高齢者の方も安心して働ける労働環境を整える必要がありますが、これも一つの多様化です。
また、女性の労働力の活用も叫ばれて久しいですが、女性は男性よりも結婚・出産などのライフステージの変化によって就労に制限がかかる傾向にあります。
これに対応していく方法として、女性が育児や家庭と両立しながら働けるような環境を整えることや、男性の育児への積極的な参加を促すことも昨今の動きですよね。
こうして働くことだけが生活の中心でないライフスタイルの方が就労との両立が実現できるようにすること、これもまた多様化です。
そのほか、外国人労働者によって提供される労働力も日本にとっては貴重な労働力です。そういった労働力を大切にするためにも国籍問わず働きやすい環境を整備していくことは重要なことですよね。

このように、労働力確保の側面で多様化を推進する必要があるというのが、日本の実態かと思います。
しかしそういった労働力拡大の一面だけでなく、雇用の多様化は「イノベーション」を起こす効果があるとされています。
どんな人にとっても働きやすい環境が整うことで、これまで活躍できなかった人が活躍できるようになります。そうすると、より多様な視点で意見が交換されることにつながります。
先の章でもご紹介した『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』でも、次のように書かれていました。

(P.23より)
ニューロダイバーシティへの理解が広がることは、まずはニューロダイバージェントの活躍の場を広げるはずです。しかしそれはニューロダイバージェントにとっての恩恵だけではなく、クリエイティビティやイノベーションを失いつつある日本社会を再活性化させる、起爆剤になるはずだと私は考えています。

※ニューロダイバージェントとは、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)などによる特性・個性を持つ方を意味する。いわゆる非定型とされていた方々のことを言う。
これに対し、定型とされる方を「ニューロティピカル」と表現する。

ニューロダイバーシティへの懸念点

ニューロダイバーシティについてここまでご紹介してきました。互いの個性を認め合ってみんなが活躍できる社会にしていこう!という理念を知ると、とっても素敵で、本来あるべき姿の実現に向かっている気がしますよね。
実際、ニューロダイバーシティの意識を持つことはとても大切なことだと思います。
でも、この理想が健常者の(この健常者という表現も適切ではないかもしれませんが)独りよがりにならないように気をつけなければと感じさせられたことがあります。
その気付きは以前にもこちらでもご紹介した書籍、『当事者対決!心と体でケンカする』を読んでいたときのことなのですが、そこでは次のような記載がありました。

※前提として、この書籍は潰瘍性大腸炎の当事者である頭木弘樹さんと、自閉スペクトラム症およびADHDの当事者である横道誠さんの共著です。
タイトルにもある通り、体に生きづらさを抱える頭木さんと、心に生きづらさを抱える横道さんが互いにインタビューをする形で当事者としての体験や意見を交わします。
タイトルのような“ケンカ”ではなく、違った形でお互いが抱える生きづらさに理解を示しながら、それぞれが直面している困難について紹介されています。
私のようなどちらの当事者でもない第三者である読者にとってもイメージがしやすいような表現で、とても考えさせられる内容でした。

前置きが長くなりましたが、その中でも特にハッとさせられたのが、ニューロダイバーシティに対する横道さんの意見です。
(文脈を汲んだうえで読んでいただけるよう、その前段階での説明も合わせてご紹介しています。)

▼『当事者対決!心と体でケンカする』より引用
(P.025より)
頭木:自閉スペクトラム症やADHDと診断される人が増えてきて、重い人だけでなく、グレーゾーンの人もたくさんいるとわかってきたと。
そうすると、「病気」なのか、「障害」なのか、という区別よりも、そもそも「病気や障害」なのかということが問題になってきますね。

横道:それに対する大きな問題提起として、90年代から自閉症の権利運動として、「これは『脳の多様性』なんだ、『ニューロダイバーシティ』なんだ」という見解が出てきたわけなんです。

(P.026より)
・横道:~発達障害には発達障害の文化がある。日本ではとくにこれが最近注目されていて、2022年の5月には、経済産業省がニューロダイバーシティを尊重しながら経済を回していこうという宣言を出していました。

(P.028より)
・横道:先の経済産業省のニューロダイバーシティ宣言に関して、「使える発達障害者」だけを利用して、「使えない発達障害者」は切りすてるという、いますでにあちこちで発生している雇用現象を強化するだけではないかという批判もあります。

(P.033より)
・横道:~問題は、環境の調整によって能力を発揮できるんだけれども、環境調整がされないから発揮できないという人たちがいっぱいいることです。豊富な人材が発達障害者のなかに眠っていて、活用されていないということですから、これはなんとかしてほしいと思うんですよね。その人たちをなんとかするために環境を調整することは、発達障害がない人にとってもメリットがあることなんです。


普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』においても、ニューロダイバーシティの本質を見失わないためにも「当事者性」の大切さが語られていました。
この当事者性といいう視点の背景には2006年に国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」の前提として掲げられた「私たち抜きに私たちのことを決めるな」といったスローガンの存在があるとされています。

おわりに

ニューロダイバーシティについて2冊の参考書籍からの引用も交えながらご紹介させていただきましたが、いかがだったでしょうか。
本ブログでニューロダイバーシティについて関心をもっていただくきっかけになると幸いです。
より詳しく理解されたい方は、ぜひ参考書籍もご覧になってみてくださいね。

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